世間と社会

世間と社会

2019年10月11日 07:36

『「空気」を読んでも従わない――生き苦しさからラクになる』(鴻上尚史著・岩波ジュニア新書)という本を読みました。鴻上氏による “世間” と “社会” の定義の違いがわかりやすく思ったので、ご紹介します。
「世間」は現在自分の知っている人や関係のある人、および関係が作られていく人たちで構成されるもの。
「社会」は自分に関係がない・きわめて薄い人たち。世間と比べると距離の遠い人たちで構成されるもの。
普段私は、世間2割、社会8割くらいで生きているように思います。これはお住いの地域によって大きく異なるだろうと思います。みなさんのところではいかがでしょうか。
パターンとしてはどうなのだろう?と考えてみると・・・パターンの言う “自分の居場所” とは、”社会” の中の “世間” です。希薄な社会で “認められない” ことを孤独・不安に感じるあまり、そこで自分が成り立ちようがないと感じるあまり、”世間” をこしらえようとします。
振り返ってみると、私は(パターンは)そういうことをよくやっています。自分が入ったばかりの “社会”(職場)が気に入らないと(要は、パターンが思うように認められないと)、パターンに都合の良い “世間” を作ろうとします。そうやってどんどんこじらせていったんだなーーーと、今思います。
これはつまり、”社会” で感じる不安に目を向けることで、”世間” との付き合い方はどうとでもなるということです。
また、私たちは誰もが社会・世間の両方を持ち合わせていて、そこにあるのは、社会の冷たさも世間の重たさも感じたことがあるという、共通の体験です。これは国・文化・思想・宗教・性別・育った環境、すべてを超えて、そうだと思うんです。
私は、自分自身の苦しみや悲しみを救うことに希望を感じます。それは世間・社会を通して、それこそ「空気」のように伝播していくものだと思います。
▼ 11月17日(日)に「心のからくりセミナー」を開催します。これは私のライフワークです。私自身はこのカラクリ(ひとつの考え方)を通して、非常に楽に生きてこられています。日常に振り回されずに生きる秘策とは?そのカラクリをお伝えできればと思います。よろしかったら遊びにいらしてください。お待ちしています。
▼ 魂の学びは普遍的です。普遍の学びは、それを実践して自分自身の学びにすることに、その真髄があります。
  私はカウンセリングを通して、皆様が日々を豊かに生きる礎になりたいと思っています。笑いながら、泣きながら、深刻にならず、真剣に。
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