お母さんから愛されたという記憶があったなら
自分に、お母さん(パターンが求める “理想のお母さん”)から愛されたという記憶があったなら
自分はここまで「人に認められたい」というパターンは抱かなかっただろう。
自分はここまで他人の心の中に自分の居場所を求めなかっただろう。
自分はここまで真面目に、きちんと、一生懸命に生きてはこなかっただろう。
自分はここまで頑張ることもなかっただろう。
全ては自分が肯定されている、認められていると感じられる、たったそれだけのため。
安心してそこにいていいのだと感じたい、安心して生きていていいんだと感じたい、
たったそれだけのため。
ずーっと抱いてきた「お母さんから愛されたい」というパターン。
このパターンは他人の中にも、誰彼構わず、常に「お母さん」を求める。ただただ自分が安心したいがために。
本当に、たったそれだけのためにこれまでの人生を生きてきた感がある。焦燥感と不安と恐怖の中で。
こういったことを、このパターンのことを、今「私」がちゃんとわかって本当に良かった。
これからは、ゆっくりと丁寧に、「私」が癒していってあげればいいから。
そして、自分に、お母さんから愛されたという記憶があったなら、
自己探求の旅には絶対に出ていなかったと思う。断言(笑)
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って、内なる世界を探求しましょう。
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