魂のコロナ対策
ふっと思ったこと、、、
自他との関係性、ふだん自分がどのように周囲と関わっているか、自分をどのように位置付けているか、自分とそれ以外のものとの関係性などは、そのままコロナウィルスと自分との関係性に反映されてるように思いました。当然といえば当然か、、、。
以前の私は、他人に対して依存的でした。認めて!大切にして!わかって!かまって!などなどのパターンが他人に多くを求めていました。なんとか他人が自分にとって都合の良い人になってくれないかとあれこれ知恵を絞って他人をコントロールしようとすることに必死でした。そのパターンはコーチングにも興味を持っていました(相手がコーチの指示通りに動きそうだから)。
でも、それらと向き合ううちに、それらのパターンを理解し、それにともなって他人をコントロールしようとすることから離れ、だんだんと他人に求めなくても大丈夫になってきました。
そして、いま、あいかわらずコロナウィルスがまったく怖くない私。なんでなのか?
ひょっとするとこれは、私が他人を自分の思い通りにコントロールしようとすることから離れたように、コロナウィルスをコントロールしようとしていないからかもしれないです。コロナはコロナ。自分は自分。コロナウィルスによっていろんな規制が出ます。それも規制は規制。ただルールに則って淡々と生きる。
以前も書いたかもしれませんが、私はコロナウィルスにもし、かかったらかかっただ、と思っているんです。かかりたい!ともかかりたくない!とも思ってない。ただ、かからないにこしたことはない、とは思います。だから予防の意味で手洗いやうがいは普通にする。具合悪くなって死んだらそれまで、というところまで考えている方もいますが、私自身は正直、そこまでも考えておらず、かかったらかかっただ、です。
このことから考えると、魂のコロナ対策(そんなもの、あるんかいな。笑)は、「コロナは怖い」というパターンに向き合うこともやったほうがいいと思いますが、「自分の思い通り(の他人)にしたい」パターンと向き合って、癒して、そうでなくても生きられることを体験していくことも一つなのかもしれないです。