高いハードル、、、
先日、娑婆で、自分と向き合った経験のない人とお話をする機会があり、そういう人にとって、自分と向き合うことは、ものすごく高いハードルがあることを知りました。
「自分と向き合えるのは強い人だ。」そう思い込んでいるのかも、って思いました。自己探求とか、自分と向き合うことというのは、ストイックで厳しくて、修行のようなイメージがあるのか、「あなたにはできるかもしれないけど、私には無理」ってとらえている人が多そうです。
それってどうしてそんなパターンを持つようになったのか。自分と向き合うということを知らないのに、なぜ、そういうイメージを持つのか。一体、何が起きているのでしょう。
私が「自分と向き合う先には未来が広がっている。」と言ったところで、「でもそれをやるには勇気がいるでしょう?今までの自分を手放すって容易なことではないし、どうにかなってしまいそう、、、」と言うんですねぇ。未知なるものへの恐怖なのか?「自分と向き合うくらいなら、苦しいままでいいです」と言っているようにしか聞こえません。
なんだろう。自己探求=何、だと思っているのか。自分を捨てることだと思っているのか。これまでの自己探求にそういう類のものがあったのか。たいそうなものだと思っているフシもあるし。パターンどっぷりで生きていると、自分以外のあらゆることが大袈裟に(おおごとに)なる傾向があるので、そうやってますます「そんなことはできません」とパターンの世界にどハマりしていくのかもしれないなーと思って聞いてました。
さて、自分と向き合うって何?とあらためて考えてみると、
(+)パターンをケアする・受け入れる・愛する・理解する 「本当の私」を育てる 自分の未来を切り開く 創造のしはじめ 観察 どんな自分もそのままゆるし、受け入れる 目からうろこが落ちる 自分の無知・無意識に気が付く
(0)人によって違う 絶対ではない ただひとつの体験 ぜんぶパターン 大したことではない
(ー)つきつけられる 目を背けたくなる 受け入れ難い自分 恐怖 自分が崩壊しそう どうにかなってしまいそう
などがあります。一般的に蔓延していると思われる(ー)側の意味だけではありません。高いハードルの謎を超えていきたいと思います。