認められなかった体験はキッカケ
先日、何のためにこれをやっているのだろう?という疑問が湧いて、やる気を失ったことがありました。
その "やる気"(モチベーション)は「認められたい」とか「期待に応えたい」といったパターンに関連したものでした。
なので「認められなかった」という体験を通して、そのパターンは不愉快に反応しました。それがあったから「認められたい」というパターンがあったんだ・・・ということがわかりました。
なぜ「認められたい」のか。
認められれば、囲ってもらえる、側に置いてもらえる、かまってもらえて、庇護してもらえる、一目置かれる、影響力を手にできる、大切にされる、気を使ってもらえる、先日感じた「無防備な安心感が手に入る」というのも含まれそうです。そういった自分自身の "存在保証" のようなものをパターンは期待していたのかも、、と思いました。これは、根本的に、生きていること自体に心細さや不安を感じているパターンから生まれたパターンとしか思えません。
こうしたパターンは、昨日の "よく見せる" 同様、無意識のうちに「これをすれば認められるだろう」とか「この人は私の事を認めているから、そういう言動をするのだろう」という風に自らの言動を制御し、他人の言動をただそれとして受け取るのではなく、分析し、次なる言動を繰り出します。そしてそれが、モチベーション(動機)となり、パターンによる言動のエネルギーになります。
平たく言うとつまり「認められたい」という心細さや不安が元になっているパターンで見て、受け止め、行動しているということです。
「語りかけ」のワークで、パターンに「こうして、出てきてくれてありがとう」と言いますが、本当にその通りで、有り難いです。さらには、そんな心細さや不安を感じているパターンを「囲い」「認め」「大切にし」「側に置いて」くれるのは、私たちのなかにいる「本当の私」です。
「認められなかった体験」は、こうしたことに目覚め、「本当の私」をさらに育てるキッカケです。
▼自分と向き合うセッションを行っています。