自分自身も表面的に装っていた
自分が思うような自分でなくていいというのは、私の中に解れるような広がりをもたらす「白」パターンです。
先日、ひとからの言動を重く受け止める自分の癖。さらには、ひとの存在自体からも、自分への肯定的な気持ちを窺いとろうとする自分の無意識に気づいた(2021/5/26の日記)のですが、最近、自分自身も表面的に装っていたことに気づきました。「自分が思うような自分」に見られたいというパターンの思いが装っていたし、雰囲気を醸し出していた。(他人に対して)感じ取って欲しい自分を演じていたことに気がつきました。
どうして気づいたのかと言うと、その時、わたしのほうはいたって普通にしてたんですが、「不機嫌」と受け取られたようで、それで周囲に心配されるということが起きました。
「自分が思うような自分でなくていい」という白パターンは、人からこう思われたいという装いや言動を止めます。それは自分にとって自然で良い状態です。「白」パターンを選んでいるので心の中も広がりがあり、穏やか。そうしたら、ふきげんな人だと思われたというのが今回のエピソード。「今日は疲れています。こんな日もありますね。すみません(笑)」として過ごしました。
そういうことがあって、わかったのです。これまでは装っていたんだな、と。テキパキ、いつでもすぐに何かを始められるような、キビキビした感じとか、ハイ!と快活に反応する感じとか、前向きに、明るく、元気よく、みたいな・・・・・
まー、でも、いつもそういう状態でなくてもいいかな。少なくとも動機の部分はもう十分、やりきったね。そういうふうにしてきたのも、人から高(好)評価を得るため、選ばれる存在であろうとする ”ポーズ” だったわけだし。そりゃ、まぁ、自然にそういう時(前向き、快活、元気)もありますよ。でも「いつも」ではないですよ、、っとー。