今回のクラスで、「自分は上だ」とか「自分は優れている」といった、「対他人のパターン」は、「物事の理がわかっていない」という話を聞いて、そうか、、と起きていることがストンと入ってきました。
わかっていないから「自分は上だ」とか「自分は優れている」とか思える。わかっていたらそんなことは思えない。同様に「自分はわかっている」「自分はできている」なども、何もわかってないからそういうことを思えてしまう。それは傲慢だし、稚拙さや幼稚さを感じます。
「自分はわかっている」というパターンもそのほかのパターンも、自分自身の経験だけを通してそう思っているので、「井の中の蛙」だと思いました。
そのフィルター(パターン、井戸)を通して他所や周りを見て、その気になっちゃうというのはなんとも愚かです。
「自分はわかっている」というパターンに対して、「自分は何もわかっていない。そのことを認める自分でありたい」です。
「自分はわかっている」というパターンはそのように決めつけてしまうので、せっかく周囲や宇宙が、自分がわかっていないことをもたらしてくれようとしても、そのスタンスがそれをシャットアウトしてしまいます。
「井の中の蛙、大海を知らず」という故事にならえば、「自分は何もわかっていない。」とは井戸の周りを囲む大海でしょう。「自分は何もわかっていない。そのことを認める自分」が大海を泳ぎます。
