自分のパターンが映し出しているもの
自分のパイプに、自分のパターンが映し出しているもの。それが現実だ、実社会だ、世界だ、と思っている・・・そのことをあらためて思いました。
それはあらゆる物事を自分がどう意味づけているかで決まります。だから、自分が変われば世界が変わるということが起きるわけですね。
この4〜5年でしょうか、物事をあまり強く決めつけないようになりました。以前は、「〜かもしれないし、〜じゃないかもしれない」とのらりくらりとかわすような物言いにイラついていました。
物事はなんでも「白なのか、黒なのか」「YESなのか、NOなのか」はっきりと決まっているもので、曖昧なものは一切許されなかったのです。
そういう傾向って、パターンとも共通しています。パターンはなんでも決めつけるし、強い決めつけにより成り立つので、「〜かもしれないし、〜じゃないかもしれない」なんて、思わないですね。
白パターンへと選び変える際に、「もしかしたら、〜〜〜と決めつけなくてもいいかもしれない」というものを選ぶことがありますが、これなどはまさに、曖昧。
でも、この白パターンは、キツい決めつけによって硬く縮こまっている黒パターンをふんわりほどきます。
自分のパイプの中に他人を引きずりこまず、パイプ磨きをして、よりクリアに現実を映し出していきたいところです。