自分の、、、自分の、、、
他人の言動が自分の思い通りでないがために不快に感じる、「自分の思い通りであってほしい」パターンについて、なんでそう思うのか、じーっと考えてみました。
すると、、、そうじゃないとめんどうだからとか、そういう理由のほかに、自分のやり方がすべて、自分のやり方が正しい、自分はこれでやってきた、というような、自分の取ってきた方法へのこだわりが浮かび上がってきました。自分の経験則に基づくパターンです。
自分のやり方がすべてだと思うパターンは、自分がやってきたことやその過程、自分の考えを肯定し、「自分は正しい」というパターンを強めます。それによってなんらかの成果が出ている場合にはなおのこと。
本当は「それがすべて」ではなく、多くのうちの一つ、それはただ一つの体験に過ぎないのだけれども、そんなこんなでパターンとしては、自分のやり方が肯定される成功体験に生き続けているのだと思います。
しかし、、、自分の考え、自分のやり方にこだわるパターンは、自分と自分以外のように分断を生みます。
これから選び変えていく新たなパターンは・・・
○ 自分の考え、やり方にこだわらなくていい。
○ 自分の思い通りでなくていい。
○ 他人を使って、自分を満たそうとしなくていい。
・・・などがあります。
“自分の” 考え、”自分の” やり方など、 “自分の” というところから離れて、ここを統合していきたいな〜と私は思うんです。
以前、道場で「自分がやっていると思っていることも、そうではないのかも」という学びがありました。
「分断と統合」は、あらゆる場面に現れる、(自分の)魂の課題です。