炎上に関する考察
週末、突然ですが、炎上(だれかの発した一言が一気に燃え上がる)について考えてみました。なんで、そういうことが起きるのか? なんか最近、多いような気がして・・・
政治家や立場がある人の発言や、テレビやYouTutbeで流れるCM、Twitter、インスタグラムの何気ない投稿といったものが炎上したり、どこに火種があるかわかんないよね、という感があります。そしてそういう炎上の発端となる出稿、投稿、発言をした人は、たいてい、そんな意図は(たぶん)なく、なんら悪気がなく「ただ言っただけ」というのも特徴的で、燃え上がった後に、あらら、こんなことになっちゃった、と火消しに回るみたいなことをよく目にします。あるいは、炎上しないように気をつけて、用意周到に上手にやっている様子も見受けられます。
炎上へとつながっていくのは、誰かの「これは間違っている。これはおかしい。ありえない」という指摘がきっかけにあるのかなと思うのですが、そこに、そうだそうだ!と盛り上がる何千、何万人の「ありえない」という思い(不快感)がメラメラ〜〜と燃え上がる・・・火に油。そういう風にすることでなんらかのパターンが満たされているのかと思うんですが、そうなっていくとパターンの連鎖で、どんどん燃える!!
その指摘の根底からは「自分は正しい。相手は間違っている。間違っている相手の言動が許されるのであれば、自分が間違っていることになる。そんなことは絶対に許せない。間違っている相手に、間違っているとわからせないと。そして社会的制裁を受けてもらわないと。だって、間違っているのだから」というパターンが見え隠れします。それを一方的に言い放つ快感なのでしょうか。。。
身もふたもないことですが、基本的には、今の自分に満足している人はそこには加担しないのだろうと私は思っています。漠然とした不全感や不満を抱き、「正しさ」という誰にも否定できない指針にすがって生きながら、自分自身の人生を生ききれずにいる人間像が浮かび上がります。
年々、他を糾弾する傾向が強まっているように思うんですが、どうですかね?不全感や不満を持って生きている人が増えているのでしょうか。相手の何が嫌なのか、何が気に入らないのか、間違ったことをやっているから、という理由のほかに、何が考えられるか。その人がそういう生き方をしていると自分はどんな感じがするのか。自分自身に眼差しを向けていかないと、気づいたら焼け野原になって、自分の人生なんだったの?って呆然とするのではないかしら???と思います。