溜飲が下がる

溜飲が下がる

2020年03月15日 07:32

自分が10歳くらいだったと思います。家族で旅行に出かけた時、小さな町で、その晩に泊まる宿を探していました。父は運転し、母は地図を見ていて、私は後部座席。
その宿は地図に載っていたのですが、なかなか見つからず、しかも一方通行だったので、同じ区画を何度も周っていました。その時、小さな赤い看板が目に入り、私は「あっ!あそこ!」と叫びました。
が、しかし、両親は私の発見にはお構いなしで、地図と首っ引きでした。そうして、宿のある路地を通り過ぎるのでした。
しばらくして私は再び「あそこ!あそこ!!」と叫びました。それでも、両親は私の言うことを聞きませんでした。きっと手元の情報と実際の街並みが合致していなかったのでしょう。
最終的には5〜6周して、父の判断でその路地に進み、宿に着きました。「さっきから言ってたのに」と私は呟いた・・と思います。
  自分はここにいるのに誰からも見向きもされないし、
  誰も自分の言うことを聞いていないし、
  誰も自分がここにいることを認めていない。
これは「自分はダメだ」というパターンの言い分です。
全く取り合ってもらえず、傷ついた心、悔しさ、むかつく気持ち、悲しさ、無力感。
出来事と共にこうした感覚・感情をはっきりと思い出します。
このインナーチャイルドに会いに行って、それらを追体験し、その子の思いを「私」が聞いてあげると、胸の奥の方にあったしこりが解けていくのを感じます。溜飲が下がる思いです。
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って自らの世界を探求しましょう。
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