正しいということ。
無意識のうちに、「自分は正しい」と、そう思ってずっと生きてきていることを「うーーーむ」と感じています。本当に呼吸するくらい自然にそう思っているなーと思って。
なんでしょう。。。「正しくあれ!」という学校や家庭での教育、刷り込みでしょうか。
正しい答え、正しい姿勢、正しい書き順、正しい受け答え、正しい食べ方、正しい行いがよしとされ、子供の自分がそうしていると褒められました。そのかわり、そうせずに間違ったり、誤ると、罰が待っていました。正しくないことでいい思いはしなかったと思います。
考えてみるとその正しさって大人たちが子供を扱う時に便利なように、大人しくさせるための洗脳っぽい感じもします。結果、社会に自分が認められるための(この社会である程度やっていくための)尺度になっているようです。
正しければ褒められて上に行かれたから、パターンとしては、正しくあることでだいぶイイ思いもしてきたのかもしれない。そこに安心感があったのかもしれない。そうじゃなければこんなにずっと空気のような存在として連れ立って生きてこなかったかもしれないです。
うーーーむ。
まぁ、しばらくは、「もしかしたら自分は正しくないのかもしれない」という白パターンを日常的に選んで生きてみます。