今回、魂の道場のクラスで使われた資料に、「真に神と通じているものというのは日常そのものが祈りとなっている。」とあり、「普段の言葉と行い」を意識するキッカケになりました。
日常生活で「チッ」と不快感を抱く場面があった時、どうするか。「チッ」という黒パターンでの言動をそのまま続けるのか、そこで「黙りなさい」と、パターンが求めている相手の言動にこだわらずに「本当の私」優位で言動をするのか。
そのパターンに対して「私」はどうありたいのかを明確にし、自分の中でそのように腹を決めることでその選択がしやすいように思います。そこに迷いはありません。慣れている黒パターンに傾きそうになってもその傾きに敏感であれます。そのまま流される選択肢もありますが、そこは自分の意志、「私」はどうありたいかにかかっています。
ちなみに、黒パターンでの言動を選んだ時は、内臓がえぐられるようなズシっとした不快感があります(おいおい、そっちを選んだのかい。)
そうやって流されるほうを選んだとしても、その後もやっぱり、「私」はどうありたいか。
まだまだ始めたばかりですが、「私」はどうありたいかを生きることは、自分の内在神を生きることであり、神(宇宙)とつながっている行為なのだと思います。
神の子、ひと。本領発揮です。
