感情・感覚をことばで表現することの大切さ
パターンと向き合っている時、私の「本当の私」はどうあるかというと、「私」は、たとえ、火の中、水の中、どこへでも飛び込んでいってあなたを救う!というスタンスでいます。
日常的な場面で例えるならば、道端でうずくまっている子を見たら、「どしたの?何があったの?」とすぐに駆け寄っていくタイプです。(ペットボトルをあけられない人がいたらすぐ声をかけてフタをあけるタイプです。笑。)
パターンを明るいところに引っ張り上げる、引っ張り出す。大丈夫だよ、こっちへおいで、と。そして、話を聞きます。「とりあえず、聞かせて」と。いったいどうしたの。言ってごらん。とドッシリかまえる感じもあります。
それで、最近特に思うのは、パターンの「言い分」を聞くのと同じくらい、「どのような感じがしているのか」、感情・感覚をことばで表現することの大切さです。
感覚的な部分、たとえば、「傷ついた」というときに、グサグサくるとか、ズキズキ痛むとか、えぐられるようだとか、突き刺さるとか、いろいろあると思います。
「苦しい」というのも、押しつぶされるようだとか、息苦しいとか、重苦しいとか、窮屈な感じとか、いろいろあります。
一言で「傷ついた」、「苦しい」で済ませてしまわず、そんなふうに感じているというところも、「私」にわかってもらいたいんですね、パターンとしては。
自分が体験している感覚や感情を的確にことばで表現できると、どういうわけだか、少し気持ちが楽になります。
だから、「語りかけ」でも「なぜならば〜」の部分と「どんな感じがしているのか」の感情・感覚の部分は、「私」が受け止めて言い表してあげると、パターンの安堵感もひとしおですし、癒しにつながる、良き「語りかけ」になるように思います。