「愛着」という執着のパターン
自分が取り組んできた仕事に対して、「愛着」という執着のパターンがあることに気がつきました。
自分は知らず知らずのうちに、仕事をとても大事にしていたんだな、ということをあらためて知りました。
これまでその仕事に携わってきて、大事にこだわって考えてきた分、愛着が湧いており、そこに自分が思うように関われなくなる可能性を前に、すごく悲しくなってしまったのです。
その仕事は、自分がやらなければ他の誰もやることはなかったもので、ただ、私自身はそれをとても大事に考えていたので、ずっとそのことを土台にして取り組んできました。
これまでさまざまな出来事があり、それこそパターンが爆発して戦々恐々とした日々を送りつつも、仕事自体はブレることなく取り組み続けてきています。仕事なんで、当たり前の話なんですけど。
仕事って、自分がそこに携わらなくても組織は回っていきます。そこは、わかる。そういうものだと受け入れられます。
だからたぶん、この寂寥感は、そこにたずさわれなくなるかもしれないことへの悲しさ。そのことにこだわれなくなることへの寂しさ。いままでずっと大事に思ってきた仕事という相手を手放す可能性を前に、涙があふれてくるのだと思います。
パターンはなんなんだろうか??「この仕事が好き」か?「この仕事を大事に思っている」か??
あ、いや、、、「自分が思うように仕事と関わりたい」か。。。
なんだかまだよくわからないんだけれども、しばし向き合います。