差別
先日の勉強会で仲間から、私が向き合っている差別意識とはどんなものなのか、という質問がありました。
私の差別意識は、学歴、職歴、やってきた仕事、務めている役職や社会的な地位・・・そういったものが挙げられると思います。
そうした情報をベースに、自分のパターンが勝手に「この人は大した人だ/この人は大したことない」と判断していると思います。
差別による行動は何気ないことです。たとえば <このひとには頭を下げておこう>(その裏には <この人には下げなくていいや> がある)とか <このひとには気を使おう>(<このひとには気遣いはいらない>がある)というものです。
忖度ということばがはやりましたが、それも差別かもしれません。自分にとって利益のあるひと、自分の収入源はその人によってまかなわれているとか、自分の命が、人生がその人に握られているとか、そういう人には気を利かせて頭を下げるけれども、そうではない人には下げない。そんな感じです。
そしてそのまなざしは自分自身に対しても向けられます。自分は役職についていない、だから大した人間ではない、というパターンとか。そのパターンは役職のない人を一般的に低く見ていることになります。
わたしはそこを超えたい。「本当の私」はそれはいらない、それを必要としていない、と徹底的に自分に叩き込みたい。そうして自分の中の差別意識をなくしたいです。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。