大波をかぶるような・・・
大波をかぶるような
航海をした
経験のない者には
大海がいかに
深く広いかわからぬ
『黄檗隠元(おうばくいんげん)禅師の禅思想』
〜現代語訳・『普照国師広録』より抜粋
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盛岡で訪れた「大慈寺」でこちらが目にとまりました
自分の心身で経験(体験)することの重要性を改めて思いました。
ここでは、経験によって世界の広さがわかるということが表されていると思うのですが、
もう一つ思うのは、
パターンの決めつけという波をかぶったら、
パターンが住んでいる「井の中の蛙」的な世界に気づいて、
そこから自らを解放し、その外に出るということもあろうと思います。
そうすると、
パターンの決めつけは数多ある選択肢のうちの一つに過ぎず、
いかに世界は自由で広いかがわかる。
かぶる波は、人生航路の方向転換を示唆しています。
末文にあるように、
自分で
通り抜けなければ
先へ進めない
今回のセミナーでも、「自分でやっていく」というところに、ぐぐっと自分の心の焦点が絞られました。
大波をかぶることを恐れず(波も、何度もかぶれば、慣れる)、
人生という大海原で、自分がどうしたいのか。自分の心一つ。
根拠なき「だいじょうぶ」を胸に生きていきます。