自らの(パターンの)驕りに、「はぁ、、、↘️」となることが最近、あります。
黒パターン「人生は与えられるものだ」を「自分は何でも与えられるのが当たり前だ」として改めて見ていて気がついたことがあります。
「自分は何でも与えられるのが当たり前だ」というパターンは「与えられるにふさわしい自分」を演じます。それは、あくまでパターンが思うそれです。
例えば、がむしゃらに寝る間も惜しんで働く自分、どんどんこなす自分、スピーディーに正確に仕上げる自分、聞き分けのいい自分、すぐに理解する自分、段取りをつける自分、頼まれたことには対応する自分、などなどです。(・・・うわぁ、出てくる、出てくる。)
「こういう自分であれば与えられるにふさわしいだろう」とパターンが勝手に思い込んでガーッと頑張る。で、「ふっふっふっ、これで与えられるにふさわしい自分であれているだろう」と思いきや、与えられない。となると、パターンは憤慨します。
どこまでも自分勝手で自己チューなパターンですが、このことに気がついて、ホッとしています。
