他人の考え
娑婆で過ごしていて「あー・・・!」と思って、自分のこととしても思い出したことがあります。
それは、他人の考えの推察です。これ、よくやってました、私。
相手はどう考えているのか、相手のその言動の背景は何か、なぜあの人はこう言ったのか・・・と考える。これってパターンが他人を拠り所にして存在しているからなんだなーと思いました。
そこには、こういったことも含まれます。あの人はこうだからこんなことをしたら嫌われるかなとか、この人の言う通りにしておけば大丈夫かなとか、あの人がああ考えるのであればこのように説き伏せようとか。
自分という存在が他人次第(認められたい、愛されたい、わかってほしいなどなどの大きなパターンは他人に自分の扱いを求めますから)だとそうなるなーと今でこそ思います。私がかつて頭をクルクルと寝てる間もフル回転させていたのはこのことでした(笑)
他人の考え、他人のことって、他人によって自分の存在を成り立たせるパターンが薄れてくるとそれほど気にならなくなるものだと思います。
自分と向き合っていくうちに他人の考えは相手のパターン、相手の個性に則っているものであることが見えてくるし、その頃には他人のパターンが何であるかなんてことよりも、自分と向き合って、自分に正直に「本当の自分」を発揮していくことのほうがよっぽど大切で、そういうふうにしていきたいんだという自分自身が本当に望んでいることがわかってきます。
他人の考えは他人の考え。それ以上でもそれ以下でもない。それをわざわざ自分の中に取り込まなくてもいいよね、って思います。