自分は「他人ありき」だった
以前は、他人がいてこそ自分がいると本気で思ってました。自分は「他人ありき」だったんです。
なので、「自分という存在を実感する」ために、他人を反響板のように使っていたフシがあります。
自分が発する言動が他人に当たって、それが跳ね返ってくることで自分という存在を確かめるような。何らかの反応が得られると「ああ、たしかに自分、存在しているんだなー」と確認でき、ホッとする。
「自分を成り立たせるために他人を利用しない」という白パターンを選び、「本当の私」がどうありたいのかに則って生きるというところには、他人という反響板も、他人自体も登場しません。すべて自分の中の感覚で決めて、考えて、行動する。非常にシンプルです。(これはしかし、ちゃんと「語りかけ」のワーク、白黒ワークをやってからじゃないとできないと思います)
自分を成り立たせるために他人を利用しないということを実践して初めて、自分と「本当の私」しかいないということをわかったように思います。
「本当の私」ひとつ。「本当の私」の選択次第。