他のために生きられればいい
「非力ではダメだ」というパターンの白黒ワークで、「非力であってもいい」という白パターンは、誰に認められなくてもいい、上でなくていい、他と比べて優れていなくていい、ただただ「本当の自分」の位置・場所を認め、ただただ「本当の自分」の力を認め、生きていこう、と思っています。
具体的にそれ(本当の自分の位置・場所・力)がどこなのか、何なのかはわからないままではあるのですが、今朝の白黒ワークでふと、「他のために生きられればいい」「他のために生きられればそれでいい」ということばが出てきました。
ここには、開放があり、自分の心を(胸のあたりを)フワーーーッと明け渡しているような感覚があって、それは広がりであり、明るさです。・・・ああ、こういう感覚で生きていきたい・・・と思います。
本当の自分の力というものも具体的に何かはわからないけれども、他のために生きる感覚に従っていけば、受容・共感・洞察・赦し・ユーモア・勇気・挑戦・熟考など、それは自ら発揮されていくモノのようにも思います。
「本当の自分」というのは、他のために存在しているの?
「本当の自分」というのは、他のために生きているの?
この問いについては自分の中を観察しながら、考えてみたいと思います。
今日も一日、新たなパターンを選んで、選んで、選んで、生きます。