仕事ですから
先日、都内の某高級ホテルでお茶をしました。それぞれ思い思いのものを注文し、私は炭酸水を頼みました。
しばらくたつとワゴンに乗せられて私たちのテーブルに到着。それぞれ頼んだものが目の前に置かれていきます。私の炭酸水は、給仕の方が目の前で蓋をバリバリっとひねり、さわさわ〜と注がれました。コップにぜんぶ注いでしまわずに途中で蓋をしめ、ボトルはテーブルに置いていかれました。
しばらくそれぞれ楽しんでいると、給仕の方が現れ、さきほどしめた蓋を開け、再びさわさわ〜〜〜っと注いでいかれました。私はその時、蓋くらい自分であけて注げるのに、なんか、自分が怠け者みたいだな・・と可笑しく思いました。で、再び、、、さわさわ〜〜っとやっていただいているところに「有り難うございます」と言ってから、「なんか、怠け者みたいですよね!(笑)」と冗談を言いました。すると、「(その方もウケながら)いえ、そんな、、、これが仕事ですから」と言いました。
このことで、私はいつぞや(たぶん26、7歳の頃)、出張でホテルに泊まった時に、バラバラとした自分の荷物をすべて手に持って運んでくれた若い女の子(これが屈強な男性であれば頼もしい!とだけ思い、こんなことは微塵も感じなかったであろう)に、「私、自分で持ちます」と言ってカバンをとろうとしたとき、ささっと後退りして「これが仕事ですから、お部屋まで私が運びます」と言われたことを思い出しました。
それを言われた私が当時感じたことは、寂しさや悲しさでした。それを、思い出しました。仕事だからやってるんであって、仕事じゃなかったらやらないよ、こんなことという風にもとれますから、そのことで寂しさを感じたのだと思います。そして、「私、自分で持ちます」と言ったのは、私なりの気遣いであって、決して相手の役割を侵すことが目的ではなかった。そのことをわかってもらえなかった悲しさ。あと、これは境界線の問題ですが、役割以上の、人とのつながりを求めていたのかも・・とか、良い人だと思われたい、良いお客さんだと思われたいといったパターンがあったのだなーと思い至りました。
相手に対して誤った役割を求めたり、あるいは役割を認めることができなかったり、境界線を間違うと、自他の尊厳から離れてしまう・・と思った出来事でした。「あなたはお客さんなのだから、100%このホテルのサービスを体験して、お金を払ってお帰りください」ということですね。おかげさまで大変に満足した、高級ホテルでの炭酸水と素晴らしいサービスでした(笑)