上。だから・・・
上。だから価値がある、だから優れている、だから人より偉い、だから存在していい、だから大事、だから尊敬に値する、だから失礼がないようにしなければならない、だから従わなければいけない・・・。私たちは「上」を価値あるもの、優れているもの、偉い・大事・重要というように意味づけています。(これを今、書いていて思いましたが、「上だから」という理由で他人に自分の扱いを求めてもいますね。)
こういった意味づけ一辺倒で生きてきている(それしか知らない)と言ってもいいでしょう。だから「自分が上でありたい」というパターンは、マウントをするし、他人からマウントされたと受け止めるのだと思うんです。
学歴とか生まれとか、職業、肩書き、地位、収入、住んでいる地域、住居そのもの、持っている物、旦那さんやパートナーの職業、着ている服、乗っている車、所有している台数、外側から証明できるありとあらゆる物事で自分と相手を比較して。そういったものがなくても、そういったものと無縁とも思われる精神世界においてでさえ、精神性の高さや意識レベルの高さなどで、相手と比べて自分が上であれる何かを探して優越感にひたる。(以前、「自分は言葉から解放された」と豪語する人のエピソードを聞きました。← 言葉から開放されたんじゃなかったんですか?とつっこむ精神性の低い私。笑)
でも「本当の自分」の位置は、比較対象となる他人がそこにいないので上も下もなくなってしまいます。自分の方が相手と比べて、、、という前談が消滅する。そこに関係なくただ生きる(資質を発揮する)領域です。
だから、「マウントされたな」「ん??いまのって・・」と思った時には、これからは「それはマウントではない」というその新たな領域を選んでいきます。