一緒に学ぶということ。
昨日の、茅ヶ崎グループ年内最後の勉強会は、無事に開催されました。師走で世の中が忙しい時にこうして集まって勉強できるって有難いことだし、何より自分たちの日常が「学び中心」である象徴だったと思います。
皆んなでこの学びを一緒にやっていきたい。
グループで学んでいると、こういう思いって普通に抱くものかと思います。
しかし、真っ当な考えに聞こえるこの思いに対して、あえて「なぜ?」と自問するのもよいと昨日は思いました。
グループでの学びは、そこにいる個々が自分のことは自分でやってこそ成り立つと思います。その視点は他罰・他責ではなく、あくまで「自分がやる」というもの。
ともにグループにいる仲間の誰かを受け入れられなければ、自分自身のなんらかのパターンにひっかかっている訳だからそこは自分でケアして、間違っても相手を責めない。また、そのパターンも放置せず自分で引き取ってそこに居続けず、ケアした上で自分で選び変えてその場にいることが必要です。時間をかけて、それこそ開示しながら、自分がやるもの。
グループでの学びって、これをお互いに練習できるからいいんだと思います。お互いに課題(抱えているパターン)が分かっているし、自分にも同じようなパターンがあるから、そのパターンを抱えたままでいるとどうなるかもわかるし、大事なのは選び変えた後の感覚であることも知っている。そもそも前提となる学びも共有しているから、安心してチャレンジでき、安全に練習ができます。
弱っちい醜い自分自身(のパターン)を曝け出し、そのパターンに惰性で居続けてしまう未熟な自分もオープンにして、それでも果敢に新たな領域へと挑戦していく決意を応援しあう。
茅ヶ崎グループはこれまでやってきて、一人一人が変わっていく様をそれぞれに目撃し、個々の変容のプロセスをキッチリ見届けています。それはこれからも続いていきます。私はこれがグループの魅力だと思います。
皆んなでこの学びを一緒にやっていきたい。
そのためには、まず自分自身が真剣に自分と向き合い、自分自身を超えていくんだ。
その思いを新たにした昨日の勉強会であり、2022年の最終日の朝です。
皆様、今年も大変お世話になりました。本当に有難うございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。