・・・絶句。
昨日は魂の道場茅ケ崎クラスの1日目。
1日の学びを終えて、魂の学びの面白さを堪能しながら、心地よい充実感を味わいながら、ご飯を食べにいく道すがら、先生が「(このまま学んでいって、やがて)わたしのことが必要でなくなるから・・・」と話されました。そこで並んで歩いていたわれわれ「・・・(絶句)。」そうしたら先生が「そこはさー、絶句じゃないでしょ。”そうかぁ” でしょ?!」と。これには笑いました。
なぜ絶句したのかというと、それは寂しいなと思ったからです。
学びの世界において、教師を必要としなくなるというのは、教師からの自立を意味しますから、生徒としては最高の生徒だろうと私は思っています。学ぶ者が目指すべきところです。守・破・離。
私は以前、自分の周囲にいる人たちに「お母さん」を求めていた時があって、先生に対しても例外なく、「お母さん」を求めていました。それがわかってからというもの、「先生は生徒に学びを提供する人」、「生徒は先生に成長を提供する人」という相互の関係性をはっきりと自分のなかに描きました。それぞれの役割の明確化です。それ以上でもそれ以下でもなく、ましてやそれ以外のものではない。先生は先生。
それ以来、思っているのは、先生は教えたいのだから、そして私は学びたいのだから、生徒としては常に教わる土壌を整えようということです。私が最もショックなのは、先生から「あなた(たち)がそんなでは教えられない」と言われること。過去に1〜2回、そう言われたことがありました。
それで、これはまずい!と危機感を感じて、先生が教えたいときに教えたいことをわれわれに伝えられるように、先生が余計なことに時間をとられなくて済むように、ワークや課題などやるべきことをやって、その時にできなくても努力は惜しまずに取り組んで、学びの土壌を整えてきました。これは今でもそうして学びを受け取っています。
それがなくなってしまう時がくるのか〜〜という一抹の寂しさを感じながら、それでも生徒としては目指すところを目指して、今日は2日目、楽しんで学んできます!