パターンって
パターンっておもしろくて、例えば「認めて欲しい」というパターンの場合、そもそもの始まりは「親」から認められたかったんだと思うのですが、それが満たされず、子供から大人になっていくうちに、最初は「親」から認められたかっただけなのに、それが先生になったり、上司、同僚、客先になったり、その対象は、誰彼構わず、です。パターンが「この人から認められたら自分は安泰だ」と思える相手にそれを求めます。
しかも「自分が思うように認めて欲しい」とパターンは思っているので、自分(パターン)が思う方法以外での認め方はパターンが満たされません。パターンの思い通りでないときは、満たされない不快さと向き合うことになります。(そのほうがパターンの存在に気づきやすいのでこれは良いことだと思います。)
パターンは思い込み、決めつけがとても強く、「自分が思うように(自分の思う通りに)自分を認めて欲しい」というように極めて限定的で、狭い世界に生きています。それ以外の可能性を受け入れず、自分が思う、ピンポイントのそれだけが欲しいと願う。そうでないと不満を抱きます。
「親の心、子知らず」ということわざにあるように、親は(先生は、上司は、、、)親なりに認めているにもかかわらず、それが子である自分の(パターンが)望むような認め方ではないために、傷つき、悲しむ。自分で勝手に枠を作って、勝手に満たされない!満たしてくれない!と言って傷つく。それほどまでに自己中心的に世界をとらえるのが私たちのパターンです。
「認めて欲しい」というパターンは「自分が思うように認めて欲しい」として、「語りかけ」のワークを行うとよいのかもしれないと思いました。そうすると真逆は「自分が思うように認められなくてもいい」となります。
なぜ、自分が思うように認められなくても良いのか?それは、パターンをお守りする「私」が育ってきているから/誰かから認められなくても大丈夫な自分になれてきているから/またはそうなりたいから/自分の足で立つことができるようになっているから・・などなどの理由があります。だから、他人によって自分をなりたたせようとしなくていい/他人に満たされなくても大丈夫な自分になろう/自分を満たすために他人を使うのをやめよう・・などなどといった選択をすることもできます。
今朝の東京は秋晴れ!久しぶりのすっきりとした青空です!
新たな1日に感謝し、今日も頑張って魂を鍛錬します!