ただ一つの体験
最近、白パターンを選ぶ時に、「それは、ただ一つの体験」というものを置いてみています(習ったばかりだから、やってみている)。
これは、ひっかかった他人の言動があったときに、それがそこにぽっかりと浮いているような感覚をもたらします。
私はこれまでの人生で、自分と他人の比重が、他人に偏りすぎていて、他人ありきで生きてきていました。自分を成り立たせるためには、他人の意味するところが大きくなければならかった、ということです。これは、他人に限らず、すべてのことに言えます。情報、環境、自分を取り巻くすべてのもの。自分以外のすべて。それらの比重が自分よりも大きいことによって得られていた安定。
向き合っていくうちに、自分の中でこしらえていた、こうしたからくりがわかってきて、今では、自他、情報、環境、自分を取り巻くすべてを「それほどのものではない」「大したことではない」と捉えています。それは私の心を占める割合を言っているように思います。自分の中で、大したことではないのです。
そして、この「ただ一つの体験」というのはその感覚にフィットします。ただ一つの体験。ただそれだけ。
もしかすると、以前の私だったら、「一つの体験」にもっともっと多くの意味や価値を望んでいたかもしれない(自分を成り立たせるために)。以前の私なら、ただ一つの体験というのはあまりに軽すぎて、ちっぽけで、受け入れることのできないものだったかもしれない(そんなでは自分が成り立たないから)。
そんなことを思いました。
当面、この「ただ一つの体験」を置いて、やっていってみます。