すべてが用意されている
他人の言動は自己観察の練習問題です。必ず、快か不快か、感覚や感情がそこに生まれます。
パターンへの語りかけには、誰かの言動に傷ついたとか腹立ったとか怖かったといった文章が必ずと言っていい程、入ります。他人と自分との関係はパターンの宝庫なのです。
袖触れ合うも他生の縁と言いますから、特に自分の身近な人、毎日のように顔を合わせる人たちとの関係は何らかの「機会」であるように思います。
自分へ向けられたその人たちの言動で、特に不快感を抱いた場合は、自分自身の学びにつながっている可能性が大ですし、自分の相手への言動の動機がどこにあるのかも注意深く見たいところです。自分はなぜそれをその人に言うのか?自分はなぜそれをその人にしたいと思うのか?等。
すべてが用意されているんだなぁ、と思います。