ある会見を見て

ある会見を見て

2024年02月06日 20:50

2週間ほど前、ある議員が辞職しました。YouTubeでその人の記者会見を見ました。

「私は力をつけたかった。地元の課題を処理していきたかった。それなら大臣並みの金を集めてやろうと思った」「金を集めることと堂々と論陣を張れることは政治家にとって偉くなるために必要なことだと思っていた・・・勘違いしてました・・・」「これまで地元の星と思ってやったきたけど、結果的には地元の恥として終わるのかと泣きました。」と話していました。

私はこの会見を見ていて、「なんだかとってもいいな、この人。」とほっこりとした気持ちになったんです。でも、何がいいのかがよくわからなかった。

もちろん全てを明かしているわけではなく「全部自分が悪いんです」と関わった人たちをかばうように引責してるので、隠している部分はあるわけですが、それでも、あきらめとショックの後ろには、広がりのある明るさを感じました。

某政党の議員たちが裏金の問題を「秘書のせい」にするなか、同政党のこの議員は、パターン(もちろん本人にはパターンという自覚はないが)を隠さず、正直に話して辞職しました。

一方で、隠したり、その問題をないものとしたり、「自分は、そんなこと(お金が欲しい、権力が欲しい、地位・名誉が欲しい)で政治家になったのではありません。」と品行方正を装っていると、そこには重さや暗さが出てくるし、「闇」を感じます。そのように政治家が言っていたって、「どうせ嘘だ」と思うのが一般市民です。

こうしたことが露わになるということは、隠し通せないということなのかも。隠してもいいけど、でも、周りは知っていて、ちっとも隠せていないよ、という感じでしょうか。

冒頭の議員の会見で私が抱いた「なんだかとってもいいな、この人。」という印象は、その流れにこの人が降参したことによる快適さ(安堵感、弛緩)なのかもしれない。

あえて勝ち負けで言うならば、「自分に対して正直になったもの勝ち」。詳しいことはわからないけれども、こんなはずじゃなかったと、とってもショックだったかもしれない。でも、そういう人間から早々に禊を済ませ、軽く、楽になれる時代。

パターンという鎧を脱ぐことを龍が後押ししているんだと思います。龍によって打ち砕かれた鎧がそこらじゅうにゴロゴロとしていることでしょう。さぁ、脱ごう!!