無視は無知
無知である ignorance / 無視をする ignore
日本語でも英語でも(あとフランス語でも!)、似てますね、これらの言葉。
無視は無知であり、無知は無視でもある。
無視。見ない、見えていないというのは、そこにあるものにそもそも気づいていないということでもあります。語りかけでパターンに対して、「・・・今まで気づかなくてごめんなさい、あなたのことを無視してきてしまって本当にごめんなさい・・・」と言うものがあり、これなどは正に「すみません、ずっとそこにいたあなたに気がついていませんでした」という話。
知らない、意識できていない、無意識であることは無視につながります。また、無視をして、あえて見ようとしなければ、その先にある世界を知ることなく、何らかのきっかけがない限りはずっとそこに居続けることになるでしょう。無知=無視だし、無視=無知、なんですね。
このことを、自己探求に関連づけて考えると、・・・(自分を)見る→知る→見る→知る→見る→・・・を繰り返していくうちに、だんだんと見えてくるもの、だんだんと知るものが出てきます。見ない→知らない→見ないとなると、井の中の蛙で終わると思うんです。「見る」は拓けていく、「見ない」は閉じていく感覚があります。
こうしてみると私はやっぱり、見る→知る→見る→を繰り返しながら、新たな世界を拓いていきたいな〜と思うのです。