恥ずかしい体験
パターンがこれまで勝ってきた “成功体験” によって、自分のプライドは相当、地厚になっています。高慢。いわゆる、天狗。パターンでいったら「自分は上」。しかし、これに気がつくまでは、パターンが捉えるところの「下」とか「上以外の何か」として扱われなければわからないものだと思います。そうでないとパターンに引っかからないし、不快な感情もわかないし、そうしないと気がつかないからです。
それでいてパターンはパターンの目でものを見ているので、パターンに気づていない間は取り巻く全てにそういう眼差しを向け、パターンにとって嫌なことがあれば悔しがり、良いことがあればうれしがり、を繰り返していることになります。
私はバレエ教室に自分の地厚なプライドを崩すために通っています。これは「本当の私」の実践です。バレエ教室で “成功体験” は、ないです。そこにあるのは、明らかに “出来ない” という恥ずかしい体験です。心の一部、小さな小さな部分が削り取られ、あたたかな涙がじゅわっと目の淵に溜まるような体験です。自分を覆っているプライドが削り取られていっているんだと思います。そして、自分のこれまでの “成功体験” や “できるすごい自分” を手放していっているのだと思います。そこには穏やかで柔らかな虚脱感があります。喜怒哀楽と言いますが、その哀と楽が同居しているような感覚です。
実践するしかないという意味で、あきらめてもいます。それはパターンが感じる不快感を上回るものです。
そうやってパターンが築いてきた強固な壁を崩し、殻を壊すのは、喜びです。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。