あきらめる
先日、以前であれば「自分は上」のパターンが騒ぎかねないことがありました。
でもその時のパターンの反応は今までと違ってました。それほど騒がなかったんです。いくつかの理由が思い当たったんですがその一つが「あきらめた」でした。
「あきらめるとは明らかに認めること」とこれまでに先生から何度か教わってきています。
「明らかに認める」とは、そういうものなのだと、現実を受け入れること。現実に抗わないこと。
思い返してみれば、似たような出来事を前に、悔しがり、憤り、反発して、これまでずっとパターンが抗い続けていました。そのたびに語りかけをして、白黒ワークで選んだ白パターンを選び、、、とやってきていました。
でも、今回は「なんか、もう、娑婆ってそういうところ、、だな、、」と思ったんです。
ずいぶん長い間パターンと付き合ってきてある意味、やりきりました。こだわり尽くしました。黒パターンとして十分に抗ってきた。そうして起こる出来事は、やっぱりそういうもの。どれだけ争ってきてもどれだけ自分が自分のパターンをケアしてきても、やっぱり娑婆ってそういうところ。
それで、あきらめた今回の出来事でした。
従来であれば、「私だって、、、」とかぶーぶーパターンが言いそうなものなのですが、心の中が凪いでいました。紙一重で向こう側には煮えくりかえる黒パターンがいるのもわかるんです。が、そちらのほうへと転がり落ちそうになる気配はなくて、穏やかなものでした。
もしかしたら、次に同じようなことがあった時には爆発するのかもしれません。わからないですが、でも、今回の、あきらめた体験はいいものだと思いました。