新たな選択
パターンは満たされたり、満たされなかったりすると先日の日記に書きました。パターンが満たされる場合は、わたしたちは自分自身が満たされていると勘違いをし、パターンの存在に気付きにくくなります。
「自分は特別」というパターンを45年間持ち続けていたのも、そのことによります。私の場合、子供の頃「海外生まれ、海外育ち」というだけで周りの人から羨ましがられたり、すごいね!って言われたりということが繰り返されていました。幼く、非力さ(自分には何の力もないというパターン)を感じていた当時の私は、その体験から、自分は普通ではない、自分は周りと違う、自分は特別なんだ、というパターンを、誇らしさや気分の良さを伴って、生みました。賞賛や羨望は繰り返され、やがて「自分は特別なんだ」と決めつけるようになりました。大きな大きな勘違いの始まりです。
そこからは特別な扱いをされないだけで、羨望や賞賛のことばがないだけで、不快感を感じるようになっていました。うわーすごいね!って言わない人もいるし、特別であるハズの自分に命令したり指図したりする人もいるわけです。自分は特別な存在に決まっているというパターンはそういった他人の言動に対し「おもしろくなーーーい、つまんなーーい、、、」と不満に思ったり、「無礼者!何様だ!」と怒り狂います。パターンの世界は満たされるか、満たされないかしかありません。
自己探求ではこのパターンの狭い狭い限定感が功を奏します。新たな選択肢として、そのパターンの世界に居続けるのか、それとも別の世界へ向かうのか、というこれまではなかった枠組みが現れるのです。特別でなくても、優れていなくても、上でなくても、生きられる。あがめ奉られ、敬われなくても、すごいね〜!ってもてはやされなくても、生きられる。指図されても、命令されても、馬鹿にされても、見下されてもOK。他人に自分の取り扱いを求めなくても大丈夫。そんな自由で身軽な世界が、広がっています。私はこの世界を生きたい。だから新たな選択をします。