純粋な思いとして
私は、(パターンを)愛するということが、まだよくわかっていないような気がしています。私は愛を知らないから、それができないんです、未熟なんです・・というのが正直なところだったりします。
けれども、例えば、頑張っている他人をパターンにひっかかって純粋に認められないことを寂しく思ったり、愛に欠けている今の自分自身を悲しく思ったりする、そのことは、未知・未体験である愛の世界へ向かう布石のように思います。
そっちへ向かっていっているのでなければ、別に何とも思わないのではないだろうか、語りかけのワークとかをやって、自分で愛を育てようなどともしないのではないだろうか、と思うのです。知らないし、体験したこともないし、なんのことだかよくわからないのだけれども、そちらの方向へと向かっていっているんだろうなぁ、と思うのです。
本来、すべてを純粋に認められる存在でありたいのだろうと思うのです。それは別にそうであることが正しいからとか、良い人間はそうすべきだからとかでなくて。純粋な思いとして。それはなんとなくそう思います。
▼自分と向き合うセッションを行っています。