"ぜんぶ自分"の変遷 〜感情や感覚をきっかけとして〜
"ぜんぶ自分"の意味するところの変遷を書いてみようと思います。
今では考えられませんが、10年前までは「他人からどう思われるか」(当然、よく思われたいワケですが)で毎日を生きていました。「器の大きな人間だと思われたい」と思っていたと記憶しています。
「他人からどう思われるか」を気にして生きていると、いつも他人の目を気にします。アンテナは自分を軸にして他人のほうへ向いています。結果的に、自分の人生ではなく他人の人生を生きるようになります。
そんな状態でしたので、自分と向き合う勉強を始めたばかりの頃、"自分の中に" 湧き上がる感情や感覚を観察することを教わったとき、それがものすごく新鮮でした。自分というものをそのとき、初めて、感じたからです。
それで「ああ、ぜんぶ自分なんだ」と思いました。このときは視線が、外にいる他人→自分の中へ移ったことによる気づきだったのだと思います。