大げさな表現の向こうに
このあいだ熟考していたとき、私のパターンにとって、自分が上でないことは、即「死」を意味していて、生きていかれない、と思っているようだ、と思いました。
感覚としては、そこで行き止まり、それ以上先には行かれない、みたいな感じです。そういう時って、何かがその向こうに隠れているんだな、、と思いました。大げさな表現(生きていかれない、とか)でその向こうに行かせないように振る舞っているような気がしました。
語りかけなどで感情や感覚、パターンを言葉にする時、それはそこに光を当て、明るい場所に出しているようなものです。しかしそれは、決してさらし者にしているワケではなく、どちらかというと、日だまりのような場所で「私」が彼等とともにすごし、話を聞いてあげながら語りかけているような、そんな感じです。
そんな日だまりにも、怖くて出られなかったり、ずっと隠れていることに慣れてしまったために、外へどう出たらよいかがわからなくなっている子達(パターン)がいます。それはあまりにも自分に近過ぎて捉えにくいのかもしれないです。
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