余り有る
これは、病院のちょっとしたスペースに飾られていた扇子状の「書」です。
どなたかはわからないのですが、多分病院創設の関係者によるものと思われます。
(「乙丑」、「青洲」と見えるので、ひょっとすると1805年に華岡青洲が書いたものかもしれないです。)
余り有るを待って
人を済わんとすれば
終に人を済うの日無けん
暇有るを待って、
書を読まんとすれば
必ず書を読むの時無けん
有り余るのを待って人を助けようとすれば、ついに人を助ける日はなく、
暇を待って本を読もうとすれば、まず本を読むときはない・・
華岡青洲の哲学を感じます。医師がどんどん治療しなければ大勢の犠牲者が出てしまうという、当時の日本や世界の病気治療で、差し迫ったものも感じます。
本について、私はいわゆる「積ん読」(積んで置く)型で、この本、いつか読みたい・・・というものが結構本棚に積んであります。それらの本から読めばいいのに、ふと目にした本を手にしたりするものですから、一向に “積ん読” が減りません(笑)
一方、人を “済う”(助ける)ということに関しては、人をパターンと置き換えれば、気づいたら即ケアです。このことは自分自身に “余裕” を持たせているように思います。普段、自分自身のことを大切にすることで、困っている人や弱っている人を前にした時、自然に手を差し伸べられる、余り有る状態が作られると思います。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。
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