評価から自由に
昨日の日記で書いた貢献というのは、自分の仕事を通して貢献するということで、すなわち、自分の仕事に集中する、自分がやるべきことをとにかくやる、という感じで、それはとても清々しいことで、昨日は精一杯貢献できた、いい一日でした。
正当に評価してほしいというパターンが何度か動いた長い一日でしたが、その度に、黙りなさいっ、私は他人との比較競争のなかで優劣を決めつけて生きることをもう選ばないんだ・・・!!マウントの取り合いっこからはもう降りるんだ・・・!!と「私」の強い決意を胸に!!
それで・・
今朝は、正当に評価されたいというパターンに対して、もう他人からの評価にこだわらなくていい・他人から評価されなくていいという白パターンを選びました。これはもう現実としてそうだと感じています。
どうしてか・・というと、評価されたいというパターンのそもそもは「認められたい」というパターンであることがわかって、そして「認められたい」というパターンのことは「親や他人に認められなくていい、本当の私が認めよう」と決めたからです。親よりも、他人よりも、頼りになる本当の私。
そうであればもう正当に評価されなくていいし、正当に評価されたいというパターンは、たまたま持って生まれた能力を使って、”できる人間” という社会的に価値ある存在として自分を当てはめ、他人が一目置かざるを得ないポジションをとり「自分は認められているのだ!」と実感しようとしているにすぎません。「正当に」というのは「自分が思うように」「パターン基準で」「自分に都合の良いように」とも置き換えることができ、そういうことをパターンが求めています。
だから、自分よりもデキない人間が評価されるのが気に食わないのです。なんで?って思うのです。「デキる人間であれば認められるけど、そうでなければ認められない」というパターン特有のロジックにおいて。
さ、今日も一日が始まります。評価から自由になった今、より純粋に仕事ができることでしょう。今日は在宅ワークなので働きすぎないよう、気をつけます(笑)