自分が思う自分というパターンにまつわる考察
自分が思う自分とは「快活な、元気な、頭のいい自分」というように、他人からこれまでよく言われてきた自分です。何が自分なのかがわからず、それでも存在はしていかなければならない時に他人から、快活な子だ、元気な子だ、頭のいい子だ、と言われると、それにしがみつきたくなります。
それでも、何が自分なのかはわからないままなので、そこにずっとしがみついていることで、自分は「快活な、元気な、頭のいい人間なんだ」と刷り込み、それを自分だと思い込むことで、自分という存在をなんとか成り立たせようとしてきたのです。
それによって何とか安定した存在であれるようではあるものの、相変わらず、自分が何者なのかはわからないまま。そのパターンと向き合い、選びかえる「自分が思う自分でなくていい」という白パターンは、すなわち「自分が何者かであろうとしなくていい」ということに通じます。
何が自分なのかがわからなくても、自分が何者かでなくても、それを他人に示して、世の中に存在として打ち立てようとしなくても、いい。その領域は安らかで、身体中の力みが弛緩し、自然です。