幼少の頃のことで思い出したパターンがあります。「いい子でなければ罰せられる」というパターンです。
私は子供の頃、本当によく叱られていました。そのたびに木の廊下に裸足で正座をさせられていました。これが痛いのなんの。親の意にそぐわない、親の言うとおりにしない「悪い子」は罰せられ、痛い思いをさせられるんだと、そうやって躾けられてきました。許された経験はないですし、必ず罰がありました。(痛い思いをしたことしか覚えてないので、大目に見てもらったこともあったのかもしれないけれど、その記憶がない。)
大人になってから、悪いことをしても罰せられない人や、責任を取らない人を見てきましたが、今、思うと、そういう人たちを見るたびに「罰せられるべきだ(責任を取るべきだ)」とパターンは憤っていたことに気がつきました。悪いことをしたのに罰せられなかったり、責任を取らなかったり、なんのペナルティも課されないのは、何の落ち度もなくちゃんとやっている人たちの手前、不当だし、許されないとパターンは思っているんです。
また、いい子にしているのに叱られたり、ご褒美がもらえないこともありました。そういう時もパターンは不当感を感じていました。
そういえば、このあいだのキントリ(緊急取調室)の最終話で、「失敗は許されない。しくじった者は浮かび上がれない。それが警察です。そして日本という社会です。・・・だから私は失敗しない強い人間を育てようとしてきました。」というセリフがありました。それに対して「失敗を許さない、それは強さとは違う。・・・失敗からどう立ち直るか、それを教えるのが教官としての使命でしょう。」というセリフが出てきます。
失敗や悪いことをした経験から学ぶ、それを経験した人間でないと気が付かない学びがあると思います。それを次に活かすことじゃないでしょうか。きっとそれが立ち直るということですね。
「いい子でなければ罰せられる」、自ら刷り込んだパターンを救い、語りかけをしてあげます。
