選り好み
「今朝は晴れる予報だから」と洗濯をする気満々でいて、窓を開けて外を見たら鉛色の空でガッカリ〜ということがありました。このとき、天気のことも「(洗濯にふさわしく、自分が思うように)快晴であってほしい」と思っているんだなーーと思いました。
「自分が上でありたい」というパターンも、上であればOKだよ。受け入れてあげるよ。でも負ける自分やできない自分はダメだよ。そんなの受け入れられないよ、ダメダメ〜!そうやって、自分自身のことをパターンが選り好みしています。これは他人にもやっていることです。
天気のことも、人のことも、どのようなことも「あれがいい、これがいい、こうあってほしい、あああってほしい」と選り好み。
誰が選んでいるのだろう? 自分への問いです。

