わずか0.1秒の先に

わずか0.1秒の先に

2022年11月17日 08:35

「自分は正しい」というパターンに向き合いながら、自分は上、自分は優れている、自分は頭が悪い、自分はダメだ、自分は非力だ、自分はひとと接するのが苦手だ、自分は特別だなどなど、「自分は〜〜〜」というパターンは、そうやって無意識のうちに自分の言動を意味づけて生きてきたんだなーーーと思いました。

何かがあって理屈抜きに不快感が湧き、後付けで自分を決めつけて生きるようになったのだろう、と。パターンとしては、不快感に、「だって、、、」と理由があるだけでも安定感が得られたのかもしれません。

自分自身を「意味づける」というのは、自分自身を何かしら、自分とはこういう人間であると成り立たせようとしているようにも思います。

パターンの、パターンによる、パターンのための生き残り対策ですね。

以前、脳にある扁桃体に関する話をうかがったとき、快か不快かなどの感情は、事象を知覚して、わずか「0.1秒」でその反応が出るとのことでした。それくらい無意識レベルでパターンにひっかかっているということですね。そこでの反応がのちのちに影響を及ぼしているというのはわれわれ知っての通りです。

引っかかったパターンを認識したその先にはどのようなパターンを選ぶのか?

「私たちの行動の多くが無意識によるものでは?」という仮説もあるようですから、せめて白・黒パターンの選択は意識的でありたいと思います。