転移について
昨日、茅ヶ崎の仲間との勉強会は4名で行いました。Wさんが復活し、喉が少しキツそうでしたが、いつものWさんが戻ってきて安心しました。コロナウィルス感染体験はとてもつらそうで、かかったらしょうがないですが、かからないにこしたことはないなーと改めて思いました。
今回は、それぞれが向き合っていることや前回のグループでの学びの共有でいつもより時間をとった会になりました。
私にとっては仲間との学びが、自分の心身を健やかに保つ、良き場になっています。娑婆で不器用に生きる自分が正常さを取り戻す場、です。
ありがとうございます。
さて、昨日の勉強会で思ったことがあります。それは、私たち「生徒」というのは、「先生」に認めてほしくて、先生が言ったようにしようとする傾向にあるということです。(「転移」という現象です。)
先生の考えを自分の考えとして検証するということはしていくものだし、そうやった上で、先生の考えが自分の考えと合致することも当然あるでしょう。でも、自分の考えを先生の考えに合わせにいくのはこの学びのポイントではないし、本質からズレています。
ただ、「転移」が起きている時はこれをしがちで、私もかつてこれをやってました。
例えば、先生から認めて欲しくて、先生が言っていたことを自分でも先生に言ってみたことがありました。先生が自分で言っていたことなのだから当然肯定されるだろうという算段です。しかし、先生は自分のパターンが求めていたものとはまったく違う反応を示しました。「え?!先生、自分で言ってたのにな・・」とそれで自分が認められなかったことにちょっと驚いたのを覚えています。
あと経験したのが、他の人はそれで先生に認めてもらえるのに、自分の場合は認められないというもの。これも「なんでだよ!」とパターンが傷ついたあまり、心の中でキレながら自分のパターンと向き合ったのを覚えてます。
あ、あと(次々思い出す!笑)もう一つ。自分のパターンが「認められた!」という体験をしたこともあります。が、それはずっとではないということ。その時だけ。これは、他の誰かが認められている場合もそう。パターンは「いつも〜〜さんばっかり」と言うかもしれない、でもそれはずっとではない。その時は、なのです。やっぱりね、自分自身がそこから卒業しなければならないのです。
「先生に認められたい」というパターンのケアと、「自分は自分の学びに集中しよう!」という白パターンへの選びかえをして、「先生に認められたい」というパターンで行動しない。そうやって自分のパターンを満たしたいばっかりに先生や他人を利用しないということです。
そうしていくうちに、先生から認められるっていうことが、どーでもよくなります。私自身の感覚としては、そこが学びのポイントではないということがよーーーくわかり、それを追い続けることが無意味になっていきました。
この学びのポイントって何だろう? それを自分で考えてみるのもいいと思います。
先生から認められるために学んでいるのではない。それだけは確か!