高い壁

高い壁

2024年05月29日 20:15

先日、映画『ショーシャンクの空に』を見ました。

タイトルも知っていたし、雨に向かって両手を広げているポスターのイメージもよく知っていて、でもなぜか見ていなかったこの映画。詳細は書きませんが、見てよかった。いい映画です。

それで、舞台となる刑務所でのアンディ(ティム・ロビンス)の友、レッド(モーガン・フリーマン)のセリフに、刑務所の高い壁は最初は自由を奪う、苦しいものだけれども、やがて、その高い壁から自分が守られていると思うようになる、というようなものがあります。

また、自分は刑務所内で「便利屋(調達屋)」として重宝されているけれども、この自分が塀の外に出たら、何者でもなくなるというようなセリフもありました。

わたし自身、何者かであろうとしてきた自分のパターンと向き合ってきているなかで、ひとって何者かであろうとしたり、他人に何者かにされたりもするし、そういう社会的なアイデンティティに安心感を抱くものなのだなと改めて思いました。

レッドが囚人から自由を奪う刑務所の壁に守られていると感じていたように、私は鬱陶しく息苦しい規則や制度と引き換えに、社会というものに守られてきたことを実感しています。

何十年もの間、仮釈放が認められず、刑務所の外に出ることはほぼ不可能。そのことにさえ慣れ、そのほうがむしろ楽だと思っているのではないか?というあたりも、社会という高い塀の中は安心・安全だと思っている自分と重なります。

でも、レッドは長い間押し殺してきた「塀の外」という「希望」を胸に呼び覚まし、塀の中にとどまることをしません。

社会(刑務所)という壁、そこから出る自由。それだけではなく囚われの身であっても心は自由であることも描かれているこの映画は、私の心の中に、モーガン・フリーマンのおだやかな口調とともに、やさしく印象に残りました。