褒められたくて
わたしたちは日常的に、他人に褒められたくて、これをすると褒められるであろうと、褒められることを期待した言動をしたり、褒めてくれそうな人のところへ自ら褒められに行ったり、という場合があります。私は、そうでしたし、そうやって育ってきた気がします。褒めてくれる先生の教科は好きでしたし、褒められた時・認められた時の嬉しい体験があるから、それを求めて、頑張っていました。
そうやって褒められたい(認められたい)というパターンが育ち、他人(学校の場合、褒めてくれる先生)を利用することでそのパターンを満たすというループにいるということです。そのループは繰り返すごとにどんどん太くなり大きく広がっていきます。能力は上がるかもしれないけど、パターンも大きくなる。
これは、他人からの評価・賞賛がないと生きられないという、他力本願な状態に自らを置いています。
しかし、私としては、そしてきっと多くの人も、自立した人生を生きたいと思っている(ハズ)。だとしたら、そのループから離れないと、いけません。評価・賞賛を求めるのは、そうでないと、存在意義も存在価値も感じられない、自分のパターンであることを認識し、そのパターンをケアすることが必要です。
私は「他人の中に存在しようとすることをやめる」という白パターンを選んでいます。それでも惰性で、存在を認められたくてとっている言動が、あります。後からでも、そのことが自分でわかるので、新たな一日の始まりと共に、今日もそこから離れることを選び続け、実践するのみです。