自分を社会に合わせてきた(その3)
「何かがデキる自分でないとなんでダメなのか?」「なんで自分を社会に合わせなければ!と思ったのか?」その答えは、そうすれば何かが手に入るからではなかったか、と思います。
では、「デキる自分」「社会に合う自分」(便利な自分や社会性)を差し出すことで、自分は何を手に入れたかったのでしょうか?
そうすれば人々が常に自分を見てくれて、自分の声に耳を傾けてくれて、それはパターンにとって安心な状態です。
そのために、自分を常に見ていてくれそうなところに行き、考えや意見を聞いてもらえそうなところに行き、注目を常に集められそうなところに行く。パターンが満たされる愛情を一身に受けよう、と。(うーーーーん、思い当たるなぁ。)
では、何のパターンが安心し、満たされるのか?
「一人ではどうやって生きていったらいいかわからない」というパターンか? でも、大勢の中に埋もれるのもイヤなので、やっぱり「自分を見ていてもらいたい」というパターンなのかな?
そういうパターンが生きるために、自らを社会に合わせにいっていたのかな、と今は思います。
と、いうことで、パターンと向き合い、粛々とワークをやっていきます。