自分を犠牲にしない決断
自分のいる職場が、従業員になんらかの我慢(犠牲)を強いるというのは、まぁまぁ当然のことかと思います。その代償としてのお給料という意味づけが一般にはあります。
このことについてよくよく考えてみました。
私の例だと、とある仕事とバレエレッスンの時間帯が重なっています。自分にとってはバレエの3時間のほうが良い時間が過ごせます。
でも会社としてはその仕事は続けてもらわないと困る。→ バレエレッスンを選べない状況が発生。それはそれはストレスでした。でも、このことから私は「会社というのはそういうもの」とも理解しました。それを明らかに認めました。(=会社というのはそういうところ、とあきらめました。)
さーここで、「自分はどうするのか?」と考えたとき、私は自分を犠牲にしないことを選びました。そういう場所に自分を置き続けない。それは心の中が明るくふわっと広がっていくような感覚です。ということは、真の決断であることがわかります。損得勘定をすればそんなことしないほうが「得」に決まってます。でも、、それは違うだろぉ!ということもわかります。なぜならどーーーんっと暗く重たい感覚があるからです。
バレエレッスンというまさかのキッカケで、私自身のありようを優先させる選択ができた出来事でした。
長い間お世話になっている会社ですがこれから新たな関係を築いていけばいいです。それはそれで楽しみ。今後、いろんなことがあるでしょうが、そのたびに自分と向き合い、目先の損得や恐怖ではなく、「本当の私」を基準にして自分の白パターンを選んでいくぞっ!とあらためて心に決めた朝です。