自分はどうありたいか
世の中にはいろんな人がいる。
でも、そんななか、自分はどうありたいか、だーーー
雲ひとつない青空のもと、冷たい朝の空気に清々しく思います。
ふと、思ったのが、他責・他罰でいるうちは(つまり、人のせいにしているうちは)、自分自身がどうありたいかを疎かにしているのではないか、ということです。
かつて(17年前?)先生から「で、どうしたいの?」と言われたことを思い出しました。
今思えば、当時の私は、自分がどうしたいのかはさておき、いかに自分の上司がダメか、周りの人間がダメか、ジャッジし、糾弾していた気がします。
他人が自分を認めてくれない、他人が自分を評価してくれない、他人が自分の思うようにならない、そのことで憤懣やる方ない思いをずっと抱えていたと思うんです。
その時に「自分がどうありたいのか、自分がどうしたいのか」などと考えたことは微塵もなかったんじゃなかろうか。だから、「で、どうしたいの?」と先生から言われて、頭にきたんだと思います。「いや、どうこうするのは私じゃないよ、他人だよ!」と思っていたんじゃなかろうか。。。
自分の人生を他人に預け切っていた。自分の人生、他人次第だと考えていた。自分が自分の人生をなんとかするというふうには思っていなかった。これが当時の自分のあり方だったということです。
最近「自分ごととして考えましょう。」とよく耳にします。
自分自身がどうありたいか。感情を通して自分のパターンと向き合って生きる。すべての自分の中に起きていることとして捉える。
これがそのポイントになるかもしれないと思うし、これが自分の人生の転機だったなぁ、と考えています。