自分の仕事を全うするために
職場(仕事・働くということ)における尊厳は、自分の仕事・役割を理解しそれを全うして対価を得ることだと思っています。
ただ、組織の一員として働いている場合、自分一人ですべてができてしまうものでもなく、自分の仕事を全うするために、他の人たちに協力してもらわないと困るものもあって、そういうことは、積極的に伝えて協力をお願いするものだと思います。
しかしそれは、「自分の思い通りにしてほしい」というパターンと紙一重でもあります。なぜなら、「困る」時には、不快感が伴うからです。この不快感は、従来のパターンを選ぶか、新たなパターンを選ぶかの分岐点でもあります。
協力をお願いしても、それが思うように得られなかった時、不快感が湧きます。以下は、従来のパターンの声です。
どうして、自分の言う通りに協力してくれないんだろう。お願いしているのに。自分が偉くないからなんだろうか?これが “社長” だったり、”上司” だったり、自分よりも “目上の人” だったら皆、すぐに協力するんだろうなー。〈パターン〉は、そういうふうに考えます。
自分がここにいるのに、自分の存在を無視されている、無価値で無意味な人間だ、いてもいなくてもどうでもいい人間だと軽く見られている、低く見られていると思い、自分が軽く見られている・低く見られている・見下されている・・とパターンは傷つき、悲しみ、悔しがります。・・・あくまでも〈パターン〉は。
ここで、実際に起きていることは?と見てみると、100人にお願いして15人から協力を得られた。「ゼロ」ではなかった。(「ゼロ」だったらメールなどが届いていない可能性を考えた方がいいです!)
これはもう、得られた協力に感謝をして先に進みたい。得られた協力の下、自分の仕事を全うしたい。パターンが思うところの「自分の思い通り」でなくて全然いい。非力であって全然いい。分岐点ではこちらを選んで、自分の仕事を全うします。そこで職場における自らの尊厳を守ります。その時、協力をした人も・しなかった人も、尊厳が守られるように思います。