職場は居場所か?

職場は居場所か?

2023年10月21日 10:32

職場を居場所にしようとしているプロジェクトについて昨日の日記で触れましたが、自分にとって職場が居場所だったことは、もちろんありました。

職場の人間関係などを見ても、パターン的に居心地のいい人が集まっている集団に身を置けたときは楽しく、充実した就労体験だったけど、人が入れ替わって、パターンにとって安心な人たちがいなくなったりすると、それまで自分のパターンが満たされていた居場所が壊されたように感じていたし、そもそもパターン的に居心地のいい人がいない職場では、パターンが求める安心感を得られず、居場所がなくて、それが不満につながっていました。

パターンの満足につながるものとして欠かせないのが「存在価値」です。
(このあいだの日記で考えた存在価値について、なんか違うかも〜と思って再考しました。)

存在価値とは(再考)

(+) ぞんざいに扱われたり無視されたりせず、そこにいるだけで重宝される 人から感謝される ありがたがられる 求められる 必要とされる 大切に扱われる 自己肯定感 絶対的に存在がゆるされている 唯一無二 替えがきかない 自分がここにいる意味を感じられる

(0) 絶対はない ひとつの概念

(ー) パターン こだわり 執着 しがみつく それが感じられないとやっていかれない ないとダメ

この(+)に書いたものを充填してくれる他人に囲まれ、引っかからない場所が、自分が安心できる「居場所」となります。

しかし、居場所というのは「私」がいるところであると、先生の日記に書かれていました。

いま、これを書いている私。この一連のパターンの動きを洞察している存在。この存在がいるところが、居場所。ここにはいわゆる安心感はありません。静かで、凪いだ状態ではありますが安らぎもないです。ただいるところ。

というわけで、職場や他人が居場所であった体験を経て、そこに居場所を求めない選択をして、そこが居場所ではなかったんだ、、、と気がつき、居場所自体を新たに捉え直す。

そのときには、職場は居場所ではなくなっています。